2020年10月12日月曜日

2020年 ハロウィンの季節になりました/ Halloween month!

お久しぶりです。最後の投稿から、あっという間に6ヶ月が経っていました。ということは、私の新股関節さんも1年半が経過したことになります(前回の投稿は、丁度1年記念だったので)。すっかり秋です。大好きなサツマイモの季節です。

いかがお過ごしでしょうか? 今年は、私個人的には、気持ちのムラが大きくて アップ、ダウン、アップ、ダウン、ダウン、ダウン。。。。。というような感じで、負のエネルギーが取り巻いていたことが多かったように思います。 新型コロナウイルスから始まり、世界中が大パニック。多くの人が亡くなりました。 そして夏には俳優の三浦春馬さんの死、その後立て続けに同じ役者さん方が亡くなりました。それも”自殺”と報道されて。。。 真相は明らかではありませんが、私は真実は違うのではと思っています。とにかく残念すぎて、心は大きなダメージくらいました(涙)。 
 
それからというもの、生きることについて、死ぬことについて、頭の中がぐるぐるぐる。。。。そればっかり。 私は自分が生きたいように生きているか?もし明日死ぬことになったら、後悔なしで旅立てるか?答えはNO!じゃぁ、何をすれば良いのか?


  『Are You Happy Now?』 自分に毎日聞いています。 もしYESであれば、なぜそう思うか? もしNOであれば、何をしたら変わるか? そんなことで毎日自分の気持ちを確かめ、そして時にはイライラしたり、焦ったりする自分がいます。 今できることをやる。今しかできないことが必ずあるから。そう励ましてる。 せっかく人工股関節にしてもらって、リハビリに精を出して、ダンスを教えられる体になったのに、 今はコロナで人に会うことがなかなか許されず、ましてやダンスクラスをスタジオで教えることが出来ません。 
 でも おかげでNew Yorkの師匠のクラスをオンラインで受けれるようになりました。時差はあれど、これはすごいことです。 まさに、今しかできないこと。 断食にもチャレンジ出来ました。 人に会わなくていいということは、断食にはもってこいだから。
 そして、 誰もがSNSを毎日眺める時間が増えたことを機に、もっと発信したいと思い、 Veganのこと、食事のこと、人間の都合で苦しみ、殺される動物たちのこと、地球温暖化のこと、気候変動のことなど 私もまだまだ勉強中だけど、これでもかという程、どんどんシェアして行こうと決めました。 一方的でもいいじゃん!と。半ば吹っ切れた気持ちで(笑)。
 届く人には届くことを知ってるから。だからそうしようと!
 今しかできないことは、実はたくさんあるのかもしれません。気づいてないだけで。


 今年のハロウィンは、東京や大都市で行われる大きなイベントはないと思うので、 そのエネルギーを地球のため、動物たちのため、そして自分たちの平和のために費やして欲しいな。 そんなハロウィンもいいよね。 


 最後に 股関節はと言いますと、 とても順調です。
私は最初の手術が大失敗だったので、意地でも二度と手術はするもんか!と決めていましたが、 今は本当にやってよかったと心から言えます。 私が股関節のことを未だ、だらだら書く理由は、 悩んでる人に少しでも勇気と希望をシェアできたらと思うからです。 私がそうだったので。どん底にいたので。もう一生歩けないかもと思ったので、本気で。 そして ネットで調べまくり、経験者の方達の情報を読み漁り、今に至るのです☺︎ 
 若くして人工股関節にすることは決してマイナスではないし、 むしろ動ける時に動ける体であることは、理にかなっているしね。


 今年2020年も残り2ヶ月半となりました。 何ができるかな、その間に。 アメリカに戻る予定でいますが、 それは今の世界の情勢と相談しながら決めていきたいと思います。 肌寒くなりました。 季節の変わり目、お気をつけてお過ごしくださいね! またふらっと戻ってきます♡ 

 写真はハニーくんと作ったいつかのかぼちゃランタン。 私のはどっちでしょう?


#人工股関節 #ヴィーガン #vegan 

2020年4月13日月曜日

術後1年経過

1年以上ぶりのブログです。ただいま〜。
今思えば、人工股関節の手術をした去年の4月4日から、ここに記録を残しておくべきだった。。。と後悔しています。日記はノートに書いてはいましたが、シェアするにはブログがよかったなぁ。。。今更の後悔ですが。
手術の前日に入院して、説明を多々受けました。その時先生は「ダンスはある程度のことが出来るようになると思う」とおっしゃったので「じゃぁ、床を転がったりジャンプはどうですか?」と質問。答えはジャンプはNG、床を転がったりするフロアワークはMaybeでした。

流石に前の晩は緊張して、熟睡できず。3月半ばからずっと続く微熱も、心配の種でした。
朝の7時過ぎに、手首のところから点滴の針を入れてもらい、8時過ぎには手術室へ。
麻酔は背中から打つものと、口で吸うものと2種。まず、手術台の上で背中を丸め、麻酔の先生に打ってもらう。。。が、なかなかうまく入らず手こずる。痛くはないが気持ち悪い感覚。その後、執刀医の武田先生に『10数えるタイプ?どのぐらいで落ちるかなぁ〜』なんて言われ、口に麻酔のマスクを被せられましたが、その後のことは全く覚えていません。秒殺。
目が覚めたのは11時過ぎでした。驚くほど痛みがない。強烈な痛み止めが、点滴で入っていたのだと思う。武田先生が部屋まで来てくださり『ここ最近で一番症状が悪かったよ。炎症、変形、癒着、骨の色も非常に悪かった。骨の色は青紫っぽくなってた。手術して良かったよ!』と。あれだけ痛かったから予想はしていたけど、やっぱりそうか!
この日は血圧がかなり低く、上も下も100を切っていました。

次の日、38時間ぶりの食事はおかゆ。排尿の管も取れて、リハビリ開始なのです!
私はずっと運動をしていることもあり、初日から歩かされました(笑)びっくりですが本当です。まずは平行棒を使って、その後松葉杖を使って。理学療法士さんには『次の日にここまで動けるなら、退院は早いと思いますよ!』と。嬉しかったのを覚えています。

でも、手術した方の左脚のむくみはひどかったです。パンパンに腫れていました。
特にふくらはぎは丸太だった。武田先生に聞いたところ、傷の内出血が下に下がって来ているからとの事でした。あとは、リハビリを頑張り過ぎないでと注意されました。動く前に、傷を癒すことが大事ですと!私の性格を見破っていた先生は流石です。毎日言われました(汗)。
2週間の入院予定でしたが、4日に手術して13日には退院できました。
歩き方はまだまだおかしいし、痛みもあったので不安でしたが、無事に退院できたことは大きな喜びと励みと、そしてモチベーションになりました。

その後、杖を使って歩いていた時期は7月はじめ頃まで、3ヶ月間は使いました。無いとそれはそれで不安だったり。。。自信がないときは持っていた方がいいです。
杖を持っているだけで周りの人にお知らせできるので、安全性は高まるね。
それでもぶつかってくる常識知らずの大人も、数人いたけど。

手術して良かったか?と聞かれれば1000%YESです。
歩くことも、寝返りを打つことも出来なかったのに、いまはスタスタ歩ける、5キロ程度なら走れる、そしてダンスの仕事も復帰できるところまできました!
劣化を早めないように気をつけなければいけませんが、でも、やりたいことは十分にできる体に戻りました!先生にはジャンプはNGと言われたのでやっていませんが、床を這ったり転がったりするダンスは、問題なく出来ています。
たくさんの応援と優しさに見守られて、今があります。大事にします!!ありがとうございます♡ NEVER GIVE UP!!!

そして
現在は、全世界が深刻な問題に陥っている。。。
コロナウイルス(正式名はCOVID19)
11月からアメリカに帰っていたので、日本に戻ってきたのが1月10日。
コロナウイルスでの死者の話題が1月20日に発生、その後どんどんと深刻になっていき今に至ります。そう思うと、私はなんてラッキーだったんだと思います。もう少し遅かったら、色々と大変だったに違いない。想像するだけで怖い。。。
明るい未来は、私にはまだ見えていません。
大事なことは
このことを良くわかっている賢い人たちの忠告を守って(誰が賢いのか難しいところだけど)、自分を守れれば他人に移すこともないので、一人一人が自覚して行くことだと思います。死んだら終わり。ウイルスから身を守ってくださいね!一人一人それができたら、収束→終息するはず!!


またふらっと戻ってきます。
それまでみなさまお元気で!!
Saki

2019年3月29日金曜日

”さき先生”

季節の変わり目ですが、いかがお過ごしでしょうか?もうあと数日で3月も終わりですね。桜が開花して春らしくなったものの、今日はなんだか寒いです。。。。私、まだダウンジャケット着てるんですけど(汗)

今月で、6年間続いた子供達のダンスクラスが幕を閉じました。
小学生や園児にダンスを教えることは、正直得意な方ではありませんでした。アメリカでインストラクターをして居た頃は、受け持つクラスはいつも、「中級」「カンパニークラス」など、踊れるダンサーしか来ないクラスがメインでした。まだまだ小さな子供達にどんなダンスを教えられるだろうか。。。。?と、新たな挑戦でした。

日本に帰国したのは、内視鏡手術で悪化した股関節を完治させるため。なので、ダンスをする気持ちも準備もなく帰ってきました。
人と人とのご縁はすごいですね。気がつけば、ダンス関係でどんどん繋がって行きました。子供達のダンスもそうだったし、チアの方々に指導する機会もそうでした。

こんなに日本で何もして来なかった無名な私を、多くの方がたくさんの方々に繋げてくださいました。振り返ると自分でもびっくりします。今こうして好きなことが出来ているのも、私の力では無いという事。導いてもらいました。


アメリカでは「先生」と呼ばれることはなく、普通に名前で呼ばれます(学校の先生は別として)。今は「さき先生」と呼んでくれる方が多く、はじめは慣れないし不思議な感じでした。先生って呼ばれることの嬉しさと責任の重さがありました。
「そうか、私は先生なのか!」みたいな。。。。

子供達と6年間、一緒に成長してきました。
どんどん踊れるようになっていく子供達は、私の誇りでもあり、そして、自分がどこまで育てていけるか、ある意味自分の実力を写す鏡でもありました。

『可能性は無限大』


いつも頭にあったのはこの言葉。なんだってできる気がした。子供達は学びの天才。
6年経った今、成長した子供達をみて心から思います。私を先生にしてくれてありがとう!この先、どんどん新しい扉を叩いて、開けて、たくさん経験していって欲しいと願っています。一生のうちのほんの6年間だったけれど、大切な仲間とともに感じたことは多かったのではないかな?と思いたいです。
これからはいち大人として、みんなの成長を陰ながら見守って行きます!


私もステップアップの時!
手放すことで、新たなものが入って来る。
変化を恐れず、なんでもチャレンジ。

平成もいよいよ終わりです。
心を新たに、またマイペースに頑張って行きたいと思います!

手術はいよいよ6日後。
準備はできてるよ、よし、来いっ!!!!



















2019年2月10日日曜日

2019年 今年ものんびり書きます。よろしくお願いします。

こんにちは!年が明けたと思っていたら、2月も10日間が経っていました。世間はウキウキバレンタインデーですね!チョコレートは見るだけでウキウキします♡
ちょっと早いけど、すでに私はVegan Chocolateを贈りましたよ。
お返しは期待できないけど。。。。。


12月14日から約ひと月、コスタリカへ旅行へ行ってきました。死ぬ前に一度は行きたいと言っていた国に訪ねることができ、そこで大自然の中、生き物と共存する喜びに少し足を突っ込むことができ、コスタリカの文化に触れることができ、本当に幸せです。いつか、1年でも良いから住んでみたいなぁ。。。。やっと慣れてきたところの帰国だったので、勿体無い気持ちもありました。

そんな幸せな経験とは裏腹、私の股関節は9月頃から右下がり。そして11月には歩くことも苦痛で、仕事以外は出かけることが嫌になりました。
病院、接骨院は3軒掛け持ちで、時間とお金ばかりを犠牲にするわりに回復が全くみられませんでした。そんな中のコスタリカ旅行。。。。。両手に杖を持って毎日過ごしました。車椅子があるところは、躊躇なく使わせてもらいました。
歩けなくなったら、おんぶしてもらいました。やりたかったのに出来なかったことも多々ありました。元気になって絶対にまた来る。。。。そう何度も思いました。

帰国して気が抜けたのか、全くと言って良いほど歩けなくなりました。
スーパーマーケットの端から端までが歩けない........1分も持たない.........。
どういうことだ? とにかく激痛が足を踏み出すたびに襲ってくる。そして、いつも脱臼してるかのような感覚で、ちゃんと脚の上に立ててないのです。だから、正しい筋肉も使えずに腰や骨盤あたりにも我慢できない痛みが走るようになりました。座っていても、横になっていても、いつもいつも痛みがあります。毎朝4時ごろに目が覚めてしまいます。痛くて痛くて苦しい。。。。

私はずっと自分の体と向き合って来ました。長〜い長〜い間。
だから、これは本当に異常すぎることだと気づいている。このままでは完全に私は壊れる。どうしよう......。


こんな不安な気持ちになったのは、人生で初めてかもしれない。

色々考えて、悩んで、そして仲のいい友人たちとパートナーだけに”手術”しかないかもしれないと打ち明けました。親にも言えなかった。
そんな時に救いの手が差し伸べられ、信頼できる先生を紹介していただき、うまく話が進んで人工股関節を入れる決意をしました。先生が「3月に手術しましょう」と早目を勧めてくださいましたが、3月には子供達の大事なダンスのショーがあります。だから断った。「4月に入ったらすぐにやります!」と。

この3月のショーは、そういう意味でもすごく自分に意味がある。なんというか、新しい人生に入る前の最後の試練、けじめ、まとめみたいな。



インスピレーションは、痛みがあるときや苦しいとき、悪い状況のときに湧き上がる。なんでだろう、「幸せだなぁ〜」っていうときは、そこまで創作意欲が出てこない。



3月の子供達のショーでは、プロデュースする側としての仕事をちゃんとやろうって決めていました。

だが

心が踊りたいと、何度も何度も何度も呼びかけてくる。
でもあなた、踊れないのよ? 何度も言い聞かす。

自分の中で葛藤がありました。でもやっぱり踊りたい。踊る....っていう言葉よりも『表現』っていう方がしっくりくる。そうだ、私はいまの気持ちを表現したいんだ。

なので
子供達のショーの場を借りて
数分だけ出させてもらおうと決めました。
大したことは出来ません。でも、確実に私の心は報われる。苦しんだ分、きっと解放されて幸せな気持ちに満たされるだろう。


ショーまであと1ヶ月
そして手術まであと2ヶ月。

光陰矢の如し

毎日、毎時間を大事に。
会いたい人たちにはメールを送ったり、昔のダンスの映像を何度も観たり、
術後回復したら、どこに行こうかななんて考えてみたり。
こうして今の弱い自分を守っています。
絶対に良くなるよ!っていう言葉を
たくさんの方からもらっています。ポジティブです。どうもありがとうございます。



今年ものんびりマイペースで、この場所に戻ってきたいと思います。
2019年もどうぞよろしくお願いします。

世界中の人が、動物たちが、森や海や草花が、幸せに共存できますように。



2018年10月17日水曜日

ありがとうFlounder

私の宝物が次の世界に飛び立ってから、3ヶ月が経ちました。
誰にもなつかずマミー命だったフラウンダー、私にとって特別な存在でした。
今年の7月14日に18歳と5ヶ月で天使となりましたが、最後の1ヶ月間はあの子の強さと優しさを胸が締め付けられる思いで見守り、そして受け止めました。

今こうして文章に残そうとあの子のことを思い出すと、涙がどんどん溢れてしまいます。

フラウンダーとの出会いは、私がまだNYで暮らしていた2000年の初春でした。ダンススタジオで知り合って仲良くなった、アメリカ人の友達のお兄さんのところに、子猫が2匹いるから貰い手を探していると聞き、
その話にすぐに飛びつき、子猫を見せてもらいにブロンクスまで行きました。
まだ2ヶ月ぐらいだった子猫ちゃんたち。
1匹はとても社交的、もう1匹は人見知りが激しく飼い主にしかなつかないと思う。。。と忠告されました。私は後者を選びました。その子がフラウンダーです。

尻尾が短く、プロペラのように回るのがチャームポイント。
私の顔の近くで眠るのが好き、膝の上で眠るのが好き、私が寝転がっていればお腹や背中の上に乗ってくる子でした。マミー大好きで、いつもいつもそばにいてくれました。
極度の怖がりで、他の人や猫たちにも心を開かない子でしたが、唯一セバスチャンだけとは仲良くしてくれました。
私にとって最高のファミリーでした。


今年の春ごろから、腎不全の悪化で大分弱ってしまい、自宅点滴を開始。私は獣医さんに一度教えてもらってから、毎日心臓が止まる思いで、震える手でフラウンダーに針をさしました。失敗を何度も繰り返して、もうやりたくないと思ったことを鮮明に覚えています。アメリカに住んでいる心の友が、猫の点滴を5年間毎日やっていたということもあり、常に彼女に励ましてもらい、コツを教えてもらい、とにかく自分との戦いでした。
でもやはり、体に水分が入ると楽になるのですね。あの子が弱って行くペースが大幅にダウンしたのです。
4ヶ月間、母に協力してもらい、キャリアーにフラウンダーを入れて動けないようにして、作業をする日々。あの子もだんだんルーティンがわかっていて、嫌がることもなくなっていました。

本当に頑張ってくれた。私の『生きて欲しい!』というエゴで、あの子は最後息を引きとる数秒前まで、本当に本当に頑張ってくれました。
亡くなるまでの19日間、一切ものが食べられなくなり、点滴だけで生き延びました。
どんどんやせ細り、皮と骨だけになり、それでもお水を飲みに立ち上がる。。。。でも立てなくて倒れる。。。。その姿がとても痛々しく、私は神様に『早く楽にさせてあげてください』とお願いしたほどでした。嘔吐も激しく、下痢も止まらず、とてもとても辛かっただろうに、そんな時でも私の体に手を伸ばし、触ってくれました。
『マミー、泣かないで。泣かないで』と言っているようでした。

私が心配で、なかなか飛び立てずにいたんでしょうね。
もうダメだと思う瞬間を、何度も乗り越えてくれたのです。

亡くなった日、息が思うように出来なくなり、50分間苦しんでいましたが、その時も私の目をまっすぐに見つめ、懸命に生きようとしました。
最後、私はあの子を抱きしめ声をあげて泣きましたが、身体中に電気が走ったのです。
フラウンダーが何かを私の中に残してくれたんだと思っています。

本当にマミー思いの優しく、そして強い子でした。
色々思い出を振り返ると滝のように涙が溢れてしまうので、この3ヶ月間は無になって深いところまで考えずにいたのですが、こうして思い出してたくさん泣いてを繰り返すことが、しっかり受け入れることにつながるのかな。

くじけそうな時はあの子の頑張りを思い出し
そして天使になった我が子たちの魂を受け継いで
毎日全力で生きたいと思っています。

セバスチャン、フラウンダー
ありがとう。
愛しています。宇宙一!
マミーがそこに行く時まで待ってて。














2018年9月22日土曜日

のんびり山を登っています

ブログを読んでくださっている皆さん
お久しぶりです!!またもや長い月日が経ってしまった。。。。4ヶ月ぶりです。

夏が過ぎてすっかり秋ですね。ここ最近は異常な災害(もしかしたらこれは正常なのかもしれないけど)が各地で多く、不安です。明日は我が身、そう考えると本当に毎日が特別です。こうして生きていることがラッキーです。

私は元気にしています。
体の方は相変わらずですが、色々と動き始めています。
まず、6月からリハビリに通い始めました。股関節専門の理学療法士さんの元、たくさんの気づきと学びの毎日。3歩進んで2歩半下がることが多いけど、ゆっくりゆっくり焦らずに。すでに股関節激痛の7年間を過ごして来ているわけだし、ここで焦っても仕方がない。ただ、歩くことにかなり支障が出始めているので正直不安。
でも、結局のところ自分を信じてあげれるのは自分だけだから、前を向くしかないよね!

たくさんのトレーニングや体の動かし方を学び、研究して、実践。そうすると見えていなかった自分の体のことが見えて来たり。こうすると調子いいな〜っていう発見があったり。でもその効果は長続きしなかったり。
試行錯誤ですが、こういう時間は無駄じゃないんだよって、自分に言ってあげます。

諦めたら

そこでブチっと途絶えて終わるだけだから。
これはブチっと終わらせたくないことだから、前向きに進むしかない。



筋トレも再開して頑張っています。
痛みが怖いし、筋力がついていかないので
前みたいにガチでできないけど、
できることをやっていけばいいのだと言い聞かせて
焦らずに日々何かしらやってます。

過去の自分は過去の自分でしかない。
今の自分を見つめて、受け入れて、そして愛してあげることです。
自分の過去に執着しない。むしろ、興味がないぐらいになりたいけどさ、、、なかなかそうはいかないけどさ。今を一生懸命!

先日誰かに言われたんです。

『今、この瞬間が一番若いんだよ!』って。

納得!!!!


5月に、世界一尊敬するダンスの師匠に、NYまで会いに行ってきた。
私が20代の時の師匠とは違ったけど、彼女のオーラと愛と優しさの全ては
あの当時のままだった。
私がずっと背中を追い続けてきた人。
そして
6年ぶりに会うことができ
これからだってずっと背中を追い続けたい人だって確信した。

そんな素晴らしい師匠に出会えた私はラッキーだ。
そして
周りには本当に本当に頑張っている人たちがいる。
私はくじけそうになると、その人たちの顔を思い出す。
私の頑張りなんて、頑張りのうちに入らない。

こうやって日々
自分を奮い立たせていられるのも、私の力ではないんだと気づきます。



今日はポジティブなブログにしたかったので
あえて詳しく書きませんが
私の宝物の長女のフラウンダー(猫)が
7月14日に旅立ちました。18歳と5ヶ月でした。
この子のことは
またゆっくりきちんとブログに残したいと思います。

思い出すと涙なしではいられず。。。。




今は
妹のセバスチャンと一緒に
マミーのことを見守ってくれています。


季節の変わり目ですので
みなさまご自愛のほど!






2018年5月10日木曜日

Tomorrow is not promised :明日は約束されておらず

お久しぶりです。本当にお久しぶりのブログとなりました。今日は5月10日、今年初めて自分のブログにアクセスしました。なんてこった。。。。

外に発信できるメンタル状態ではなく、ずっと内にこもっていました。ありがたく仕事があるから、なんとか外に出ていた。。。という毎日でした。

私のライフスタイルはずっと

『明日死んでも後悔しないぐらい、毎日をフルに生きる』ということに重点を置いて生活することです。でも、この9ヶ月間は、完全に別の人のライフを生きているようでした。

我が娘のように愛おしい猫が、去年の7月に逝きました。それも、獣医にあっという間に殺されました。その日から、私の地獄の日々は始まりました。

そんなどん底から手を差し伸べてくれたのは友人、家族(ペット含)、そしてダンス。

9月に、岩手県の平泉にて踊る機会をいただき、全身全霊で踊りを完成させました。コンセプトは”悲しみの舞”、死んだ愛猫への踊りでした。
股関節の状態は最悪、でもこれが最後の踊りでいい!という気持ちで、そんなこと忘れるぐらい集中して練習出来たし、本番も天国にいるあの子に伝わったと思える踊りでやり切りました。
『あぁ、終わった。。。。もう踊らなくいていいんだ!』

正直、ホッとした瞬間だったのを覚えています。


それからは、股関節の状態が本当に悪く、歩くことも苦痛、寝返りも打てない、座っていたら筋肉が固まって動けない、何をやっても激痛の日々。

もう一層のこと死んだほうがマシだわ。。。。と思ったことも何度もあった。趣味でかなり力を入れていたボルダリングも、そんな体の状態では続けることも難しくなり、徐々にジムに行く回数は減って行くばかり。


動物って単純なもので、体が動かせなくなると心が病んでいくのです。魂抜けたみたいにやる気スイッチが壊れたり、他人と話すことも億劫になってしまったり、どんどん鬱っぽくなるんですね。。。。身を以て体験しました。

あんなにストイックにしていた食事制限もどうでもよくなったり(もちろんお肉は食べませんよ!)、むしろ食べることで自分を慰めていました。欠かさずやっていた家トレも苦痛すぎてやらなくなったり、とにかく開いていたドアがどんどん閉められていきました。もちろん自分で閉めました。

動かないとコアがどんどん弱くなり、つかまり立ちしてる自分がいたり、階段も両足で一段ずつ登っている自分がいたり。。。。股関節の痛みに拍車がかかる一方。


「このままでは完全に壊れる。それでいいの?そんな人生でいいの?」
自分に聞いてみる。

「嫌だ!これは私じゃない。これは私じゃない!」
出た答えがこれでした。


「明日は約束されていないんだもの。いまやらないでどうするの?何を待っているのだろう?セバスチャンは戻ってこないのよ。自分で頑張らないとダメなんだよ。
今のままじゃぁ、ただ漠然と息をしてるだけ。死んでるのと同じ。楽しみがない、生き甲斐がない、それでいいのか?」



こんな風に思えるから、
私はまだまだ再生可能だと確信できました。
家トレも、痛みと相談して少しずつ再開。
ダンスも踊りたいんです。私の唯一の感情表現の手段なのだから。
これがないと吐き出せない。
だから自分のために踊ろうと思う。カッコよくじゃなくてありのままの自分で。
ボルダリングももっともっと上手になりたい。
無理せずに続ければいいじゃん。


最近は、またしっかり栄養素を意識して食事しています。カロリーでもなければ量でもなく、大切なのはホールフーズ。砂糖をなるべく避けて、質の良い食事。
そう、これが私なんだよ。
こういうことに、自分を大事にすることに情熱を注いでいたのが私なんだよ。
気付けてよかった。Uターン出来てよかった。



この気持ちが現れてくれたので
忘れないようにここに記します。

ありがとう自分。
まだ
目標っていうのが見えてこないけど、でも
必ず出会えると思います。

その時まで、自分を今まで以上に大事にしたい。

まずは
今一番会いたい人に会いにいきます!!!!今月末!









2020年 ハロウィンの季節になりました/ Halloween month!

お久しぶりです。最後の投稿から、あっという間に6ヶ月が経っていました。ということは、私の新股関節さんも1年半が経過したことになります(前回の投稿は、丁度1年記念だったので)。すっかり秋です。大好きなサツマイモの季節です。 いかがお過ごしでしょうか? 今年は、私個人的には、気...